【はじめに】私の円形脱毛症について
私は女性で現在26歳です。円形脱毛症をはっきりと認識したのは、大学生になった18歳のころでした。認識したのはその頃ですが、よく思いかえすと高校2年生の後半からあったと思います。
場所は、左耳の上あたりで髪の毛の生え際でした。この左耳の上というのは、生え際が少し後退しているだけとも見える場所で、高校生の私は『円形脱毛症』だなんてちっとも思っていませんでした。(円形脱毛症のこと自体よく知りませんでした)
18歳でハゲに気づいた私ですが、そのときは「髪の毛をポニーテール結びするせいで、髪の毛が不必要に上に引っ張られて抜けちゃったのかな」くらいに軽く考えていました。ですので、髪の毛を高く結うのをやめ、髪の毛にあまり負担をかけないで生活することを心がけました。
しかし、ちっともよくなりません。
母親に「ハゲができた」と報告すると、母親は少し心配してくれましたが「円形脱毛症はストレスと大きな関係があるらしいし、のんびり生活してハゲちゃんのことも気にしないで過ごせばいいよ~」と声をかけてくれました。
ちょっと安心した私はそれからしばらく、ハゲのことを考えるのをやめたのです。きっといつか自然と治るだろうと。
でも治りませんでした。治らなかった理由や治療についてはこれから詳しく記載します。
1枚目の写真が左耳の脱毛部分を示す写真で、2枚目は特に問題がない右側の写真です。
円形脱毛症とは、原因や傾向
円形脱毛症には、段階と種類がありますが、私は単発型(ひとつしかハゲがなく多発していない)かつ重篤度もS1の軽度でした。円形脱毛症は、治療そのものが対症療法であり、根本的な治療方法が確立されていません。
そう、ここがネックなのです。「根本的な治療方法」がないのです。ですので、お医者さんたちも、一般的に言われていることや過去の症例などの情報から対処療法をするしかありません。脱毛症の診療科は『皮膚科』ですが、必ずしも脱毛症をあつかっているわけではありませんし、総合病院や大学病院を勧めているサイトもあります。逆に、個人院の皮膚科でもなんら変わりないと言っているサイトもあります。
円形脱毛症の原因はいくつか考えられていますが、私が当てはまりそうなのは「精神的ストレス」による影響のみでした。
♫円形脱毛症.comによると
”精神的ストレスを受けると、それに抵抗するために交感神経が活発に動きます。交感神経は、心肺を早く動かしたり体温を上げるなどの働きがあり、身体がストレスと闘う準備をしてくれます。このとき、ストレスが強すぎたり長く続いたりすると、交感神経に異常をきたします。その結果、血管を収縮させ、頭部への血流が悪くなり、毛根への栄養補給が行き届かなくなって脱毛が引き起こされると考えられます。”
と書いてあります。なお、ストレス起因の脱毛症は、そのストレスを取り除くことで約半年以内で完治する可能性が高いとも言われているようです。
また、円形脱毛症とアトピー素因が深く関係があるらしく、円形脱毛症の40%はアトピー傾向ありで、54%は家族等にアトピー素因があるという研究結果もあるようです(引用:wikipedia)が、私は全くその素因がありませんし、家族にもいませんでした。
私の円形脱毛症の治療方法
実際に私がどのように治療していったか、時系列に沿って説明します。
年齢 | 状態、治療内容 |
16~17歳? | 脱毛開始? |
18歳 | 円形脱毛症だと認識する。髪の毛を結うことをやめて様子をみる。 |
19歳 | 全く変化なし。気にすること自体をやめて放置する。(ストレス要因以外考えられず、ストレスの場合は自然治癒するとネットに書いてあった) |
20~22歳 |
ひたすら放置。(いつか治ると思い込み、本当に気にせず過ごしました。たまに髪の毛を結うときに「あっ」気づいても知らんぷりしました。) |
23歳 |
皮膚科初受診。塗り薬のステロイドと内服薬が処方される。1~2ヶ月に1回の頻度で皮膚科に通う。 |
24歳 |
変化がないため、内服のステロイドが処方される。 |
24歳6ヶ月 |
変化ないがステロイド内服を自己判断で終了。 |
第一段階:セファランチン
23歳で皮膚科初受診。このとき主治医から言われたのは「髪の毛が生えてくる根っこが瘢痕化している。完全に瘢痕化していないのでまだ治療の余地はある」でした。
・・・・・・すごくショックでした。なぜもっと早くに受診しなかったのか、ネット上にある情報を信じて長期間放置したのか、と後悔しました。でも悔しがっていても始まらないので、早速治療をお願いしました。
処方されたのは、ステロイドの塗り薬と『セファランチン』というアレルギー反応を抑制する作用や血流を促進する作用がある内服薬でした。塗り薬は朝晩の2回患部に塗り、内服薬は朝晩に1錠ずつ飲みました。これを3ヶ月続けました。
しかし、全く反応はありません。
第二段階:セファランチン増加
変化がないためセファランチンが増量となり、朝晩に2錠ずつ内服することになりました。これも6ヶ月続けましたが、ほとんど変化はありません。主治医の先生は「すこし産毛が生えてきたかな」とおっしゃいましたが、私には感じませんでした。
第三段階:ステロイド内服薬
いよいよステロイドの内服薬が処方されました。プレドニゾロンです。私は恥ずかしながらステロイドが何者なのか全く知らなかったので、「また強いお薬になるんだな」くらいの気持ちではじめました。
内服し始めて1ヶ月立った頃、母親に現状を報告したら「いますぐ治療をやめてほしい」と言われました。わたしはポカーンでしたが、母親曰く「ステロイドは外用薬なら良いが内服薬は心配が多すぎる。これから赤ちゃんを生む大事な身体を傷つけないでほしい」と。
それから私は急いで「プレドニゾロン 副作用」「プレドニゾロン 妊娠」などいろいろ調べまくりました。そしたら、怖い情報も安心な情報もごちゃまぜで、結論はよくわかりませんでした。ただ、母親の心配する言葉だけはずっと頭に残り続けました。
治療をやめた理由
主治医の先生も「プレドニゾロンは強い薬だから長期的に処方したくない。飲み始めると1~2ヶ月で効果が出てくるはず」とおっしゃっていましたが、1ヶ月経っても、2ヶ月経っても変化はありませんでした。先生が言ってた産毛もどこへやら・・・それでもワラにもすがる思いでプレドニゾロンを飲み続けました。
しかし、6ヶ月経っても変化なく・・・・。主治医の先生からは「これ以上プレドニゾロンを飲んでも効果がないだろう。大学病院などでレーザーなど違う治療をする手もある」と言われましたが、大学病院は近くになく通院する時間を確保することもできず。
治療はやめました。とても悔しかったし、苦しかった。ポニーテールが大好きな私にとって、耳の上のハゲはすごく気になりました。
でも家族が沈んだ私をいろいろな言葉で励ましてくれました。「そんなところに小さいハゲなんて誰もわからないよ」「見えたとしてもちょっと生え際がベジータっぽい感じなんだなって思うだけだよ」と。「そうだね」と笑って返しながらも、心では泣いてました。みんなの優しい気持ちに感激する涙とやっぱり悔しい気持ちと。
でも、家族のおかげで、ずっとこのハゲちゃんと付き合っていこうと決心することができました。
現在の状態とこれから
今は全く治療をしていませんし、これからもするつもりはありません。きっといま受信したら「もう完全に瘢痕化しているから無理です」と言われるでしょうけど(笑)ハゲちゃんはいまも健在で、大きくも小さくもなっていません。きっとずっとこのままですね。もし大きくなり始めたら、今度はすぐに皮膚科を受診しようと思います!
世の中には円形脱毛症で悩んでいる方がたくさんおられるのだと思います。単発ではなく多発だったり、全頭脱毛してしまっていたり。そのような方々は、私が脱毛部分を「ハゲちゃん」とと呼んでいることで気分を害されるかもしれませんが、私なりの治らない円形脱毛症と付き合っていくすべだったりします。ご理解いただくと共に、円形脱毛症で悩むだれかの励みや助けになることを期待して、ブログを書き終えたいと思います。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
Rany